2010年07月30日

群馬の旅-3-

群馬県立自然史博物館の、次にやってきたのは
富岡製糸場です。

製糸場の入り口のまん前には、有名な、釜飯のお店が。
そういえば、まだお昼を食べていませんでした。
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お店には、他にも色々なメニューがありますが
やはり、これを注文しないのは、野暮というもの。
有名な「峠の釜めし」です。
何度食べても、やっぱり美味しい!
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お店でいただくと、なめこのお味噌汁が、ついてきます。
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さらにデザートの、富岡シルクソフト。
富岡産、絹パウダーが、練りこまれています。
特別な味はしませんが、普通に美味しい
ソフトクリームでした(笑)
kazMyogi-May2 014-1.jpg
食事を済ませ、いよいよ
世界遺産入りを目指す、富岡製糸場へ。

1872年(明治5年)、明治政府による
最初の、模範工場として誕生し
当時、世界最大規模の、製糸場だったそうです。
その後、官から民(三井時代、原時代)へと
経営が移り、最後は地元の片倉工業(株)が
経営していた為、現在でも、地元の人達は
この製糸場のことを、片倉と呼んでいます。
rieMyogi-May 192-1.jpg

入り口で、入場料を支払い、中へ入ると
正面には、東繭館があります。
この東繭館の前から、無料のガイドツアーが、出発します。
もちろん、ガイドさんに付かず、自由に見学も可能。
東繭館は現在、資料館や、ミュージアムショップとして
使われています。
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東繭館を抜けると、左手に現れるのが、乾燥場。
ここで、繭を、乾燥させていたそう。
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中庭から見た、煙突。
昭和14年に建築された、鉄筋コンクリート製で
高さ37.5m。直径2.5m。
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中庭の突き当りには、西繭館。
まったく、窓がないのが、特徴です。
kazMyogi-May2 042^1.jpg

繰糸場。
明治5年(1872)の、創業から
昭和62年(1987)の、操業停止までの
115年間、稼動していました。
kazMyogi-May2 102-1.jpg

片倉工業は、製糸場の文化的価値を、よく理解して
大切に保全し、使用していたそうです。
説明をしてくれた、地元のガイドさんたちも
一丸となって、熱心に保護活動をしているのが
印象的でした。
世界遺産に、入れるといいですね。


posted by Oつがい(O夫、Oつま) at 22:49| 神奈川 ☁| Comment(6) | 電車で行く旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Oつがいさん、ご無沙汰してます〜。

釜飯懐かしいなぁ・・。
よく食べましたw

絹パウダーのソフトがおいしそうです☆

富岡製糸工場は教科書とかでしか見たことがないです。
ガイドツアー凄いいいなぁ・・。
Posted by ミスト at 2010年08月01日 16:43
政府って…なんだろう…?
Posted by BlogPetのマリン at 2010年08月02日 15:37
ミストさん、こんにちは。
富岡製糸場は、世界遺産入りを
目指しているからか
ガイドさんが、張り切って
案内してくれますよ。
シルクソフトは、とても滑らかな
舌触りで、美味しかったです。
O夫

正直、近代の文化遺産には、さほど気持ちが
向かなかったのですが、実物を見ると
やっぱり違いますね〜。
紹介した建物の他にも、お抱え外国人技師が
住んだ家など、たくさんあるんですよ。
Oつま
Posted by Oつがい at 2010年08月02日 22:53
マリンへ。
政府は、国のことを
いろいろ、決めるところだよ。
O夫

マリンも最近、堅い言葉に食いついてきて
えらいぞ。よしよし。
Oつま
Posted by Oつがい at 2010年08月02日 22:53
片倉製糸場って最初聞いた時???でしたが、
行って見てよくわかりましたね。
官営で待遇もよく「あゝ野麦峠」にみられるような
"女工哀史"はなかったというガイドさんの説明に
はちょっと興味を持ちました。
野麦峠といえば、江戸時代は、飛騨鰤もこの峠を
越えて運ばれてたんですよね。
今は車で通れる…。行ったことはないけれど
当時の峠越えの苦労が偲ばれます。
Posted by N水 at 2010年08月04日 22:53
N水さん、こんにちは。
そう、最初、地元の人が
「片倉」って言ってるのを聞いて
「???」でしたよね。
実際、製糸場を見学して、納得でした。
やっぱり、地元に行って
学ぶのは、大切ですね。
O夫

ずっとずっと昔から、峠を通じた
太平洋側〜日本海側の交流があったんですよね。
宮本先生の本に出てくるような
たくましい生活史って、ゾクゾクしますねぇ。
Oつま
Posted by Oつがい at 2010年08月05日 08:59
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